昭和44年3月10日 月次祭の教話




 はあ・・・ただいまのお月次祭に大きな筑後川の鯉があの、鉢の中にいっぱいに詰まるようにしてお供えをしてございました。今日はもう朝から鯉のお供えが。まだ他にも、鯉のこのくらいばかりの子がおるから、それをお供えしたいという申し出がありました。すべての事に、まあ全神経を使わせて頂くのが信心だと思うんですけれども。

 お互い一つ、どのような事の中にでも、一つね、信心の心を神様に向けておきませんと、どういう有り難いお知らせを頂いておりましても、えー、どういう、まあ言うなら悪い災難のかかってくるといったようなお知らせを頂いておりましても、うかつにしてそれを頂き止める事が出来ません。ね、例えばいつもお月次祭の度に鯉のお供えがございます。けれどもこんなに3匹もあるといったような事は、御大祭の時でもなからにゃございませんです。

 鯉は御神徳と仰せられます。ね、御神徳という事は、ね、神様のお徳がもう一匹二匹じゃ足らずにそんなに大きな力を持ってですね、こうお働きかけ下さっておる、ね、御神徳を見せて下さろうとしておる、そういう神様の生き生きとして働きを感じずにはおられません。ね、ですからどうぞ一つその、御神徳が生き生きとしてです、ね、御発動をましましておる時に、お互い本気で信心のけいこをさせてもらい、本気で信心のお徳を頂き、おかげを頂きたいと思うですね。

 頂きたいと思うてもね、頂く物がない時にはどうにも仕方がないです、ね。頂こうと思うても、ね、いわば親孝行と同じこと、ね。したいと思う時にはもう親がいないというような事ではつまらんでしょう。間違いなしに今合楽のお広前にはそうした御神徳が隅々まで生き生きとして働きを感じる時に、この御神徳を受けさせてもらい、その御神徳に浴させて頂こうという願いをお互いが、願いを持たなければだからいけんのです。

 ね、御神徳を受けなければ人間の真実の幸せ、いわゆる御神徳を頂かなければね、神様のどのようなお働きでも、それを有り難いと受ける事が出来ん、ね。御神徳を受けなければね、ね、この世が極楽とは感じる事が出来ません、ね。理屈の上においてはこの世は極楽、理屈の上においては全てが神愛だと分からせて頂いても、それを真実、神愛として受けられるおかげを頂かなければいけない。

 今朝から、福岡の高橋さんが参りまして、福岡からお参りになりました。私はもう本当に神経科、神経が細かいから足で音がすると、もうお話が「でく?」死んでしまう。皆さんの中に一人居眠りをしておる人がもうおると、もう具合が悪い、ね。何かこうケソケソしておる人があるとですね、もうどうも私の神経を刺激してから、肝心なお話がよう出来ん。

 というくらいに私はですね、神経を、すべての事に向けて、それこそ針が落ちる音にでも、ハッと気付かせて頂けれるような神経が必要です、信心させてもらうと。またそれがだんだんそういう事になって来なければなりません、ね。たとえばこうやってですね、お月次祭にお参りされておられる皆さんが、例えばなら羽織袴でお話を頂いておられる方がおられると、もうそれだけ神様のごひれいを感じます。

 普段着の人が多いと、それだけ神様に対する思いというかね、相済まんという気持が多うなります。だから学院先生方でも出来るなら装束をつけたまま、すぐ着替えずにここに出て頂きたい、ね。というように、私は思うです。皆さんでも、ね、もちろんエプロンがけで参ってくる人はいませんけれども、やはり、うわっぱりよりも、やはり羽織の一つも引っかけて見えれるくらいな気持がいるです。

 ね、それは神様に対する礼儀とかエチケットと言ったようなものではなくてです、ね、それだけキチッとした姿勢をもって、信心を頂こう、神様を頂こうという気持の現れなのですから。ね、そういう意味で、私はこの姿勢という事をやかましく言われるが、形の上の事ですけども、そういうものが必要だと、こう思うですね。えっと、高橋さんのお話をしよりましたですね。

 今朝から高橋さんがお参りになってから、お届けをされるんです。まあいよいよ、まあ年度末ですから。まあ、今年の例えばおかげを受けていく信心の姿勢というものを。皆さんもご承知でしょうが、もう本当にビニイリサイにわたって様々と神様にお取次ぎを願われて、お取次ぎを頂き忘れておると電話で、日に何回でもお取次ぎを願われて、そしてそのお取次ぎを頂いての生き方で、御信心を進めておられます方です。

 ね、朝参りをして色々とお届けをされます。まあ商売をしておりますから、売る事、買う事は言うに及ばず、ね、従業員の事から、もう例えば今改造が、この頃からあっとりましたが、改造のもう本当に柱の何と言うんですか。塗る色から、畳の「へる?」の色までを、壁の事まで御神意を伺うて行かれます。もう自分の感覚とか、ね、自分好みといったようなものをね、気にしようとしておられる努力だと思うんです。

 だから神様が赤い色がいいと仰る、はいと言うて、まあ赤色にされるような生き方をしておられます。ね、ご承知のようにお寿司屋さんですから、平和台に野球の試合などがありますと、あちらにお出しになられます。沢山な数を作らなければなりませんので、お湿りにども会うたら、もうそれこそ沢山なその、いわば大損です、ね。野球があるハズになっとったのが、お湿りの為に出来なくなったなんてのは。そこでもう、例えばラジオやらテレビやらが明日は雨が降るという風にですよ、いうような時でも御神意を伺われる。

 それでも神様が作れと仰りゃ、ハイと言うて作られる。明日お天気が良いようであっても、まあテレビ、ラジオではお天気が良いように言いよっても、神様が、作るならば「しょうぼう?」にしとけと言やあその通りの事をなさっておかげを頂いて来ておられる。いわゆる神様任せである。そこであの、先生、今年の私の信心の姿勢と言うか、ね。今まではそうして、様々な小さい事にいたるまで御神意を伺うて頂いてその通りにさせて頂いたが、今年あたりは、もうボチボチ生き方を変えなければいけんのじゃないでしょうかと。
 もう一から十まで、先生にお伺いをしてからという、言うなら、まあ先生がいつまで生きられるか分からんのに、お伺いする人がなくなったら、後はいわば、「ざとう?」が杖を外したような事になってはならないと言うような、深い信心も考えられての事であろうと思う。ね、いわゆる神様依存というか、それだけでは、だからもう、いわば自分で自分の事ぐらいはというような気持ちでね、と言うので、今日お伺いになったんだと、こう思うんです。

 言ったら神様からね、それに対するお答えがです。やはり、今まで通りに売る事、買う事すべてにいたるまでお取次ぎを頂いて、御神意のままにおかげを頂いたら良かろうという事です。変わらない、ね。ただし今年はね、そん時頂いた事ちょっと忘れましたが。今年はね、例えば御神意を頂いてやらせて頂けば必ずおかげになるという、その事の為にお伺いをするのではないという事。

 ね、神様が千の弁当を作れと仰ったから、千の弁当を作らせて頂きましたら、明くる日は大降りになった。とうとう千の弁当が余ってしもうても、それを有り難く頂かせて頂くという、言うなら度胸をすえての信心をさせて頂いたということ。それこそおかげ頂きたい、いらん無駄がないように。御神意を通りしときゃおかげを頂く、ところが人間の知恵力で分からんから、神様に御神意を頂いてもろうてやらせて頂いて来たんだけれど、今年はやはり同じだ。

 けれども、その結果が右になろうと左になろうと、ね、構いませんという、構いませんじゃない、その事に対してお礼が言えれる信心。ね、言うなら右と願っても左にならせて頂いても、右と願った事が左にならせて頂いても有り難いとお礼の申し上げれる信心。いわゆる、お取次ぎを頂いて、ね、起きてきた事は悪い事でもみな良いという信心。これは高橋ひろしという先生のお言葉です。

 ね、お取次ぎを頂いて起きてきた事は、たとえ悪い事でもみな良い。お取次ぎを頂かずして起きてきたことが、それは良い事であってもみな悪いという確信を持った信心です。お取次ぎを頂いて、しかも御神意を頂いてからならせて頂いたこと。それが、ね。良い事悪い事、人間の見た目では分からん。ね、そこんところを有り難く頂かせてもらえる信心で今年は進まれたら良かろうと。高橋さん、そこんところが分からせて頂くようになったら、私がいなくなっても、もうあなたの信心は一本立ちが出来ますよと言うて申したことでした。

 ね、そうですよね。神様にお願いして、右になろうが左になろうが、お願いをして起きた事、お取次ぎを頂いてならせて頂いた事だったら、それをおかげと頂けれるのですから、もう一本立ちでしょう。それが間違いなく、正しくです、ね、悪いよう、お取次ぎを頂いて、それが悪い事であってもみな良いと信じれれる信心。そこから、はあやっぱりこれがおかげであったと分からせて頂くおかげになるからです。

 今日は、前講、「つしみ?」さんがおかげを頂くようになっておったそうですけども、見えておりませんから秋永先生が変わって前講を務めておりました。そのお話の中にです。昨日、森先生から頂かれたお話の中の一部の話をなさっておられました。ね、ある難儀な問題を東京にお出でられる道すがらに、御本部に立ち寄れと言われて、御本部に寄ってその事をお願いをして行ったにも関わらず、思いとは反対の事になった。

 そこで、また帰りを金光で下車して、三代金光様がまだ御在世の頃、その通りの事を逐一お届けをさせて頂いたら、金光様が、願うた事が思うようにならん事の方が、このおかげでございますと仰ったと。ね、それを頂かれて、心が本当にサッパリした。自分の思いにならなかったけれども、それがおかげであると思うて、おかげを頂かれた。そこから信心辛抱が「流されていく?」ところに今日では大変、まあおかげを受けておられるというお話なんです。

 そのお話を私ここで聞かせて頂いておりましたら、あの、センスの舞扇よりももっと大きいような大きなセンスを、ここんところに、こう指してあるんですね。それをこう、ぬいだところがね、大きなセンスですけれども、ここの肝心要のところが抜けておるというお知らせを頂いた。ね、これを広げれば末広ですわね、末広のおかげです。誰でもその末広のおかげを頂きたい。いわゆるセンスがこう広がったようなおかげを頂きたい。

 ね、しかも出来るなら、あんまり苦労せんで頂きたい。ね、それこそこれは、もうお互い偽ざるその告白をするならそうじゃないでしょうか。いんや、もう私は後からでございますなんて、もう出来るだけ早く頂きたい。それが実際なんです私共の。ね、けれどもその神様の思い、願いというものはです、ね、そういうおかげをやりたいのが山々です。神様はこのおかげをまた頂いてくれよと仰っておられるのである。

 センスが広がったようなおかげ。しかもこれがずっと広がっていくおかげ。末広って言うのはね、どこまで広がって行くか分からんとういうおかげなんですよ。センスがこうして、もうここまで出らん。その通りにずっと広がっていくのです。親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代。日勝り、月勝り、年勝り、代勝りにおかげ頂いて行く、金光様の御信心。けれどもそれがどうでしょう、こうやって広がっていく肝心要のところが抜けておったら、上は広がっておるだけで、下の場合がこうやって開いてしまうです、ね。

 金光様が仰せられたという、ね、早いより遅いおかげ。願うたおかげが、おかげになっていなくても、それがおかげであると仰せられたという事は、その本当のおかげを頂いて行く為に、肝心要のところをしっかり頂いておきなさいよという事なんでです。ね、どんな事があっても、どんなにおかげを頂いて行きましても、これがそれこそ末広がりにどんどん、おかげを頂いて行っても、おかげを頂いて行っても、それが崩れるような事のないようなおかげ。その肝心要のところをしっかり頂いておきなさいよということ。

 ね、ですからその肝心要の所がです、お互いが早く頂きたい。ならです、その肝心要のところを、人が十年かかるところを五年、で五年かかるところは二年でもおかげを頂かせてもらえば早く頂けれる訳でしょうが、ね。そういう意味で合楽ではです、今神様がです、ね、今日の私は鯉の沢山のお供えの中から感じた。鯉と言うは御神徳と仰せられるが、神様のお働きは、御神徳が、今このお広前へ墨から墨へまで漲っておるんだ。

 神様が「びちびち?」としてござるんだと。ね、そういう働きのあっておる時に、私共がその気になって、肝心要のところを頂かせて頂いたら素晴らしい。今日々朝の御理解を頂いております、それを感じます。はあ素晴らしい事だ、素晴らしい事だと、私はもう毎朝それを実感致します。ね、ですからその事をです、本当に自分のものにしていくところの精進と言うか、努力と言うか。ね、それが本気でお互いなされるというところに、ね、いわゆる信心が血に肉に本当にならせてもらう、分からせて、ね。

 秋永先生がまたこんな言葉を使っておられましたですね。もう一人の私と言うておられます。自分が今までも出しゃばるで、ね、私が言う、秋永先生「     」、あんたごっちょごちょ言いよってね。言うてから私が言うんです。ね、たしかにそういうところがある、ね。とにかくその、言うなら出過ぎるところがある。ね、けれども出過ぎるところがおかげになって行っておりますけれども、ここんところをです、グッと例えば踏み止めをしていくと言うかね、ブレーキをかけていくという信心。

 そこにはもう、もう一人の秋永友良がある訳なんです。神様から頂いておるこの性格だけではない、もう一人の性格。それが長所でもあると同時に、ある場合には欠点でもあるのでございますから、それがカバー出ける。そしてそこにもう一人の秋永友良が出けてくるというところに、いわば完璧を目指していく者の信心があると思う。

 ね、そこんところを努力をする事は非常に、やはり先生としては努力しよる。それがこの頃よう感じられる。ね、私はだから、幾人の方にもそれを申しました。ね、秋永先生がしておる、私にはビンビン感ずる。この頃ね、秋永先生がいわゆる変わった信心に一生懸命なんだと。ね、昨日私、昨日でしたか、一昨日でしたか?正樹さん、今こう花の用事に行く時に、ようするにこう乗って行きながらね、最近秋永先生が話を、私少し、誰にもしたって分からんから、もう合うた者だけで話す。

 気がついてるかと、秋永先生が今、いわば自分にかけておる信心に一生懸命取り組んでるんだと。私はあれはおかげだと思うなと、と言うて、まあお話をした事ですけども、今日のお話頂いておるとそうである。ね、だからこれが私の性格だからと言うたらそれまでですよ。ね、ですから私にない物、ね、そこんところをお互いが信心によって頂いて行くという時にです。ね、自分は円満だ円満だと思うておるけれども、半月さんです。

 そこ丸かとこだけ「   」自分は円満だと思っておる。ね、ですから信心によってもう一つの半分が出けた時に、いわゆる完全な、いわゆる円満が頂けれるようなものなんです。私共はもうそれなんです。ね、そこで私共が本気で信心のけいこをさせて頂いて、御神徳を頂いて行く事に務めませんとです、その御神徳を頂いて行く事になりませんとですね、自分の欠けておるところが目に分からないんです、実際。

 そこんところをです、お互い一つしっかり分からせて頂いて、ね。神様のそういう働きを、ね、頂けれる、感じれれる一つおかげを。ね、言うならそういう信心が自分にも出けて行きよる事をひしひし感じて行けれる私。言うなら、もう一人の素晴らしい私がここに誕生して、それが育って行きよると言う私に。ね、ならせて頂かなければいけない、ね。
 今日私が皆さんに頂いてもらいたいと思うところは、そこんところが肝心要のところである。ね、まあ例えて申しますとですよ、自分はどうも乱費の癖がある。お金が手に握る、もう手に入るともうそれをずっと使おうちこたえんという人がある。それに気付いてです、それで今まで、今までのそれをいわば一層してです、ね、それこそもう本当に神様にお喜び頂けれる事意外の事には絶対使わんぞというぐらいにしてから、例えば行くところにです、その人になかったもう一人の私が出ける訳です、そうでしょうが。

 ですから、神様がです、そこんところが本当なものになった時に、もう、もうこの氏子にはいくら金を持たせたっちゃ良かという事になるんじゃないでしょうか。ね、肝心要とはそこんとこです。ね、これは金だけの事じゃありません。全ての事にそうなんです。その肝心要のところがです、いわゆる思うようにならないその間に、ね、思うようにならん事は苦しい事である。そこんところを自分のものにしていく為の信心が出けていく事が肝心なところを目指しての信心であると、こう思う。

 高橋さんが今日までは御神意を頂いて行くという事は、おかげを受けると、またおかげを受けるから御神意を頂いて御神意どおりにして来たんだけれども、もうこれには、いかにもどうにも、あまりにも甘えておるような気がする。また先生がおんなさらんごとなんなら、やはりこれは困るという風にも感じられたのでしょうか。ね、そして、なら今年の信心はやっぱりその通りなのだ。

 お取次ぎを頂いて、御神意を頂いて、御神意のまにまに動かせて頂く事に変わりはないけれども、そこに現れて来る事がです、赤と願って白になっても、右と願って左になっても、それをおかげと頂けれる信心が望まれる、それが肝心な事なのであります。ね、それが暇がいって行くと言うか。ね、思う事が思うようにならない事がおかげであると分からせてもらう時にです、私共はもういつもかつもが、思うようになりゃ尚有り難い、思うようにならなけりゃ尚まだ有り難いというような事になって来るんじゃないかね。

 ね、そういう信心を身につけさせて頂いた時に、私共の信心は、まあ一人前といったような感じた致します。言うなら、肝心要なところが出けて行きよる信心、ね。そして、末広がりのおかげを頂かせてもらうおかげ、ね。今は何か神様が一人ひとりにね、本当におかげを受けてくれよと言うのを、こう生に感じますね、最近。

 ね、おかげを受けてくれよと、ね。そのおかげを受けてくれよと願われる、そのおかげをね、本当に私共が頂き止めさせて頂く時に、ね、いわゆうる神様も喜んで下さり、金光大神も喜んで下さり、私共もいよいよ有り難い勿体無いの生活が出来るおかげになってくる。ね、そこんところを一つ、願いとしての信心を本気でさせて頂かなきゃならんですね。私は今日、秋永先生のお話を頂きながら頂かせてもらった。

 もうそれこそ、前扇にも見らんような大きな扇ですね。その扇のこういう末広がおかげを頂きたいならばです、もうおかげを頂いたことがね、かえって困った材料になって行きよる人がいくらでもあるとです、ここでも。

 はあ、ほんにただ昔のこと、それこそほんに買い、買う米の金にでも不自由しよったという人達がです、もう米の金とか「    」で全然不自由をせんぐらいになってから、違った苦労が出けて来よるという事は、やはり肝心要のところが分からずに、頂かずに広がっておるからですよ、そうでしょうが。ね、ですから肝心要のところを頂く事を先に頂く、ね。その肝心要のところを頂く事に精進すること。もうその精進する事が御神徳を頂いて行く信心じゃないでしょうかね、どうぞ。


                       末永信太郎(4月27日)